南山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
広島県の報告書を見ると東峰先端の折れた土塁の北に土塁囲みの郭があります。
現地を探すが斜面をさがり北の水道施設が見えてきたので、常識的に考えて遺構は無いと判断して帰ってきてしまった。
松岡氏の著作を見て再度現地を訪れると、西に向かって下る谷が始まるところで、遺構は谷の底を縁取るように北、東、南に0.5~2.0mの土塁が築かれていました。
西側には、土塁は無く切岸しかありませんでした。
南側の土塁は東の角で2本に分かれ、外側の土塁は大きく山側に逸れて登っていました、最初は道と思いましたが最終的に土塁、空堀と判断しました。
現地は、北及び南からも見透かされる位置にあり、何故この様な遺構がある理由が私には分かりません。
北郭写真
北側土塁(東部)
北側土塁(西部)
東側土塁
南側外土塁
- 参考文献
広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第4集
吉川弘文館 2015年3月20日発行
松岡進氏著
城を極める 中世城郭の縄張りと空間 土の城が語るもの
芸備地方史研究会 2002年4月発行
芸備地方紙研究230号
長谷川博史氏
大永7年備後国和知郷細沢山合戦と陣城遺構