旭山塁更新

 旭山塁縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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2016年5月18日ブログ旭山塁を更新しました。八ヶ岳の山体崩壊による韮崎岩屑流でつくられた台地の上にあるの、流山の一つである旭山(標高911.8m、比高約150m)の山上に旭山塁があります。旭山の三角点から南に傾斜する山頂部約300mが城域です。300mの内の北の200m強は全周を切岸で囲まれていますが内部はほぼ自然地形です。北の郭の北端には空堀が見られますが現在林道が横切っています。林道は北の郭を縦断し南の郭に至ります。南の郭は北の郭より一段下がり東、南、西を3〜2mの高さ土塁が囲んでいます。土塁の外側は、空堀で切岸の高さは5m程度あり、南からの尾根筋からの強力な守りになっています。南の郭、南東部は張り出してその西に虎口が開いています。東の土塁が切れている所は後世の林道を通したものと思います。北の郭との境で現在石碑の立っている所も虎口であったとしても林道を通す際に破壊があったと思います。南の郭の、西側は谷状地形で20m程度落ち込んおり土塁で塞いでいます。西側の中央部に切れ目がありますが、虎口では意味のないものと私は思います。天正10年の北条、徳川氏の対陣の際の北条氏直本陣の若神子城より北約7kmに、旭山塁はあり両城を佐久往還が繋いでいます。旭山塁は、本陣の若神子城よりはるかに規模も大きくその位置からも佐久往還の連絡を確保する目的で築かれたものと私は考えます。

写真は全て南の郭
北側虎口写真

内部北側より写真

内部南側より写真

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西側空堀写真

南西角写真

南張出部写真

南張出部虎口写真

遠望写真

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