寺垣内館現状図(国土地理院の電子地形図25000)
北側の居館址の土塁は三重県埋蔵文化財調査報告書5よりトレースしました
再発見・北伊勢国の城では、東名阪道路が御幣川を渡るところの西(右岸)にある低丘陵を分断して通っています。
この東名阪道路の南側を寺垣内館として紹介されています。
現地を訪れると平坦な丘陵状に最大高さ1mの低土塁が2ヶ所見られます。
しかしながら土塁以外に中世城館であると断定できるものは有りませんでした。
現地は、おそらく畑などの耕作に利用された跡で、東名阪道路が開通した前後に放棄されたと思われます。
帰宅してから東名阪道路に関連して調査されたのではないかと思い、
調べたところ三重県埋蔵文化財調査報告書5の中で 10寺垣内館址(ネットで閲覧できます)を見つけました。
驚いたことに、該当地は調査されていませんが東名阪道路北側の調査が実施されており、
北側丘陵上に土塁に囲まれて居館址(地元の伝承では寺跡)の存在が示されており、
発掘調査の結果では縄文時代から平安時代初期までの遺構が検出され、
土塁は平安初期の集落跡を整地し作られたことが分ったようですが、作られた時期は不明とされています。
発掘調査は、道路にかかった部分のみ行われ土塁の全体の内の南西角部の一部のみで残りは調査されていませんでした。
土塁のあった所は、現在メガソラー基地が建設されていますので建設前の調査が行われていないかと思い、
鈴鹿市の文化財課に問い合わせを行ったところ、現地は東名阪道路工事と前後して開墾削平され、
畑、資材置き場と使用されたので遺跡は存在しないと判断されようです。
この事は、当時の航空写真で確認できるとありましたので、
私も国土地理院の航空写真を見ましたが土塁は削平されてしまったようです。
現在、東名阪道路南側に残る土塁は北側にあった土塁と関連したものか今となっては不明です。
残念なことです。
- 参考文献
伊藤 徳也氏
再発見・北伊勢国の城
日本道路公団名古屋支社 三重県教育委員会
1970 三重県埋蔵文化財調査報告書5
日本道路公団 東名阪道路埋蔵文化財調査報告