如意ヶ嶽城

如意ヶ嶽城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

京都五山送り火の内、大文字の火床のある尾根の山頂が大文字山(標高465,3m)でこの山頂部周辺が如意ヶ嶽城です。
城名の如意ヶ嶽は約1,4km 東の現在は別の山(如意ヶ岳、標高472m)ですが、
かっては大文字山は如意ヶ嶽の支峰とされていたようです。
日本城郭大系よれば、文明元年(1469年)より永禄元年(1558年)の間数度にわたって使用されたとしています。
したがって現在見られる如意ヶ嶽城は永禄期以降の遺構が見られるとものと思われ、
大文字山頂から西及び東に延びる尾根上に空堀、土塁、虎口が良好に残っています。
如意ヶ嶽城は、大きく分けて山頂の東側の部分と、約20m下がって西側の部分に別れると見えます。
それぞれ東側端を空堀、土塁で尾根を分断して空堀はそのまま北側に降りて90度西に折れて谷部を遮断しています。
谷部の空堀の規模は大きく見ごたえのあるものです。
東側内部は、性格のよく分からない切岸が多く見られました。
北端中央近くには食違い土塁による虎口があり、虎口内側左手が張出し横矢がかかる様になっていると思います。
西側の内部も北に向かった斜面で、長期居住する用な施設があったと思われません。
現在、東南角付近を登山道が通っているので虎口の様になっていますが、
虎口とは考え難く谷を下がって土塁端から、土塁内側に沿って通路状なっていますのでこちらが城に入るルートと考えています。
このルートの南端には土塁が張り出している部分がありここが虎口と思います。
如意ヶ嶽城を全体的に見ると、北及び東に向かって守りが厳しく反対に南側斜面には浅い堀が見られるのみで、
西側の火床に向う尾根にはほとんどないも無い状況は、北側の山中越え方面から攻められる事を想定している様に私には思われます。
図面に入れていませんが、東に一つピークを越えた鞍部に土塁囲みと空堀、竪堀、竪土塁の遺構があり関連したものと思います。

西郭写真
東端虎

北部虎口外側

北部虎口内側

北部虎口周辺空堀


北部空堀

東郭写真
虎口

東及び北部空堀

北部空堀
[
東端部土塁

東鞍部遺構写真

  • 参考文献

株式会社 新人物往来社
 日本所郭大系11巻 京都・滋賀・福井
京都府教育委員会
 京都府中世城館跡調査報告書 第3・4冊―山城編1・2