宿野城

宿野城縄張図

いなべ市の田辺城へ行った帰りに宿野城によりました、
あまり期待していませんでしたが思っていた以上にしっかりした遺構が残っていました。
田辺城では、以前公園化して手入れをされたようですが最近は放置状態で藪化しており、
おまけに北部で道路工事による発掘調査が行われていました。
田辺城の様な市街地から遠く離れた所が道路にかかるとは夢にも思わなかったのでびっくりしました。
近年、北伊勢四日市市周辺では道路や開発による城の消滅がいくつか見られます。
以前訪れた鈴鹿市の大久保城では、檜林の中に土塁、空堀が2000年頃まで良好に残されてたいましたが、
檜は伐採されその後にさつきなどが植えられた物が藪になっていました。
おまけに北側の土塁が削り取られ畑になっていました。
状況から発掘調査も行われた様子もありません残念なことです。
宿野城は、宿野の市街地から国道477号と金渓川を挟んだ南側の比高20mの丘の先端に築かれていました。
南北2カ所の郭とその間に高さ約3mの櫓台と思われるマウンドがあります。
このマウンドの最初の印象は古墳(円墳)かと思いましたが登ってみたところ、
古墳ではなく地山をこの部分をのこして南北の郭を作ったものだと思います。
北の郭は、北端の虎口周辺に土塁が見られました。
南の郭は、西と南に土塁があり南の土塁は櫓台とほぼ同じ高さがあります。
南の土塁の南(外)は堀切状に落ち込んでいますが、南西角に土塁の削平地がありよく分かりません。
さらに南の尾根上に、堀切状の溝さらに南に広い削平地があり城域ではないと思うのですが。

南郭土塁西側写真

南郭土塁南側写真

北郭土塁東側写真

北郭土塁虎口付近写真

中央櫓台?写真

遠景写真

  • 参考文献

伊藤 徳也氏
 再発見・北伊勢国の城