鳥取城の陣城四

鳥取城の北、久松山から西に続く雁金山の陣所です。

久松山から西に尾根雁金山には幾つかの城郭遺構が見られます、何れも本来は秀吉方の陣城ではなく鳥取城の防御のものであったと思いますが、サイノ乢付城を宮部 継潤が攻め取ったことで丸山城からの連絡が遮断され、鳥取城の包囲が完全に
なったと思います。その後秀吉方の陣所がいくつか作られたようです。
千人返し峠北の砦、サイノ乢付城などは薮ではありますが土塁などの遺構は確認できます。
雁金尾西端の砦は、約10m四方の低土塁囲みの砦で秀吉方の陣城と思います。

昼食山ノ砦縄張図

今回の縄張図は高橋成計氏の作図の物を許可を得て使用しています。
無断での他への使用及び複製しないでください。

市立中之郷中学校の背後(南)の山上に陣所はあります。水道施設があり破壊されたように考えられますが、破壊は最小限で
あったようで水道タンクの背後に土塁囲みのこ郭、タンクより南に延びる尾根の上には高さ約1.5mの土塁が残っています。
この土塁の南端に土塁囲みの郭がありましたが、宅地造成に伴い破壊されました。

主郭虎口土塁写真

南尾根土塁写真