三塚の壇・岡の乢城

三塚の壇・岡の乢城縄張図

院庄から吉井川に沿って北上し奥津湖の一番奥から西に5km程進むと富地区に至ります。
富地区の中央に南北に連なる丘がありますが、丘全域は遺跡地図では三塚壇遺跡群とされています。
丘の内で富教育歴史資料館(旧小学校)の東のピークが三塚の壇・岡の乢城です。
主郭に当たると思われるピーク部分は、約100mにわたり平地が続くが明確な段差や、
南北の斜面に切岸等は見られません。
北にむかって丘がつながる所には明確でないが切岸及び堀切と思われるもがあります。
このピーク部分だけを見れば城跡かと疑いたくなる状態です。
ところが東、南の尾根先には興味深いものが存在します。
東の尾根先は、5本の竪堀がありそのうち北側の三本は通常の斜面を掘った竪堀形式ですが、
残りの2本は丘の稜線に並行で堀というよりは掘り残した土塁のように見えます。
南の尾根は、約70m間2m〜4mの深さで掘り込み東、南、西の三方を土塁状に掘り残しています。
南先端西側に虎口が開いています。
以上のようにピーク部と東と南尾根の状態の差はどの様に考えればいいのでしょうか。

東の尾根
f:id:temeraire1839:20220417100516j:plain
f:id:temeraire1839:20220417100533j:plain
f:id:temeraire1839:20220417100608j:plain

南の尾根
f:id:temeraire1839:20220417100630j:plain

遠景西より
f:id:temeraire1839:20220417100653j:plain

遠景東より
f:id:temeraire1839:20220417100709j:plain

  • 参考文献

第二五回国民文化祭津山市実行委員会  平成22年10月30日発行
美作国の山城