医王山(吉永)城

 

医王山(吉永)城縄張図(国土地理院の電子地形図25000

             「web等高線メーカー」で等高線を作成した)

 

岡山、兵庫県の境を流れる八塔寺川の谷にある入角集落の対岸(東)の山(標高162m/比高約90m)が医王山城です。

山頂部を削り残して、南に向かって2段の郭がありいずれの南面の切岸は約3mの高さがあります。

明確な土塁、竪堀などは確認できませんが、上の郭には一か所、下の郭には二か所の虎口の様な落ち込みがありますが確実ではありません。

山頂の北は、尾根が続きますが先が急傾斜で落ちこむので堀切はありません、南からの尾根を登りますが途中に堀切なようなものは見られません。

 

郭写真

 

 

北部写真

 

遠景写真

 

  • 参考文献

   岡山県文化財保護協会  令和2年2月28日 発行

    岡山県中世城館跡総合調査報告書 第1冊 備前

寺町城

 

寺町城縄張図(国土地理院の電子地形25000)



三次市向井江田町の寺町集落の背後(北)の山の西に張り出した尾根(標高296.0m/比高約70m)が寺町城です。

比高がなく簡単に登れると考えていましたが麓には獣除ファンスが厳重にしてあり、ウロウロしていると麓のお宅の御主人が出てこられて、城まで案内して頂いたうえにいろいろお話がきけ、寺町城の山は松茸山で大事にしていた、西の茶臼山城の山は昔旱魃の時に山火事を防ぐために伐採を行いその時に人の手が入っている等。

寺町城は単郭で、郭内の削平もよく東と南の切岸も明確に見ることが出来き、土塁は北側と東中央部の虎口付近によく残りその南にも痕跡が見られました。

南から東斜面にかけて竪堀がありとくに虎口付近のものは横堀状に繋がっており、西斜面の北部にも数本確認できます。

南側の中央付近に虎口の様になっているところがあり、後世のものか?しかしその上には一段下がった小削平地が張り出しているので虎口かも。

北端は堀切っていますが、両側ともに竪堀となっていないようです。

 

南端部写真

 

北東部土塁写真

 

東虎口写真

 

北土塁写真

 

東斜面竪堀写真

 

北堀切写真

 

遠望写真

 

 

  • 参考文献

   webのサイト

    「小花と春の古城めぐり」さんを参考にさせていただきました。

脇谷城

 

脇谷城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

坂内川に沿って連なる丘陵の北端が、永禄12年の織田信長による伊勢侵攻の際に籠城戦が行われた大河内しろで、その南西1km脇谷集落の背後(北)のピーク(標高164m/比高70m)が脇谷城です。

山頂部(西)とその東に郭があり、いずれも切岸は5m強あり、郭上にあがるところが見つからない。

西側の郭の南には鞍部をはさんで郭があり、その南は規模の大きい堀切で遮断しています。

西と東の郭の間は平坦になっていて郭と思います、西と東の郭の裾部は竪堀で回り込めないように遮断しています。

 

西郭写真

 

西郭北側竪堀写真

 

南郭南側堀切写真

 

南郭南西角竪堀写真

 

東郭北側竪堀写真

 

遠望写真

 

  • 参考文献

   伊藤 徳也 氏著  2022年2月8日 発行

    再発見 奥伊勢の城

 

大富山城

広島に到着した朝は、雨模様で天候の回復を待つ目的で林道で山上まで車で登れる大富山城に向かった。

西城町市街の南、東の麓を西城川が流れる山頂(標高511.2m)/比高約180m)と、山頂から南に続く尾根に天神が平、物見が平などの郭が残ります。

雨も止み山頂部の削平の良い広い郭を見て、大堀切(現在は林道で破壊)の南の尾根上の郭を確認したが予定外の大富山城でだったので、天神が平から南へは登らず西斜面の竪堀を見る、尾根上から約30m下がった所に20本以上の長さ20mを超えるもので、位置的作られた目的が私には分かりませんが、東に降りる道の痕跡があったのでこれを遮断するためかと思います。

広島県の中世城館を歩く」によれば、物見が平の西斜面にも竪堀がある様なので再度行く必要があると思っています。

大堀切から南の郭や西斜面の竪堀の表面に、多数の川原石ではないかと思われる石が多数あり不思議に思ったので帰宅して調べると、「大富山城緑地環境保全計画書」の中で現地は2億5千年前の古生層の上に新生代第4記の砂れき層がのっているとあり理由が分かりました。

 

山頂部郭写真

 

大堀切南尾根の堀切写真

 

大堀切南尾根西斜面の竪堀写真

 

  • 参考文献

   株式会社 傒水社  令和3年2月1日 発行

    表 邦男氏著  広島県の中世城館を歩く

   広島県(発行者及び発行日不明)

    大富山城緑地環境保全計画書 指定書・保全計画

 

白山城

 

白山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

武田流の縄張の特徴があるとされる白山城ですが、現地を見て果たしてそうであるかとの疑問を私は持ちました。

また特長の一つである周囲の斜面に放射状に掘られた竪堀ですが、現物を見ると残りが悪く尾根を掘りきっている堀切と比べ痕跡程度のものが殆どで、主要部の郭等にたいして時代が古い遺構ではないかと私は感じましたが、この辺は現地の説明板にもこの城が寛文年間まで存続したことが関係あるように私は思いました。

白石城は、釜無川の左岸(西)の河岸段丘に西の高地から張り出した尾根のピーク(標高561.1m/鍋山からの比高140m)に土塁に囲まれた郭があり主郭と思われ、北及び東の土塁は失われておりこれは後世の改変が原因かも、南東の角が虎口で東から北にかけて一段低く腰郭となって、北の中央に虎口が開いています。

腰郭の北は、堀切が隔てて北の郭となっていて、西は横堀、北は堀切、北東角はくぼんで虎口が開いていますが形としては内桝形に見えます、虎口を出ると小郭で外に出るルートは現在不明です。

主郭の南は低くなって広い郭ですが、その西が一段高くなって主郭の根元が空堀状に堀られているが、西端が堀り切らず残しているのは理由が分からない。

当日は白山神社を目指したが、倒木で道が通れず武田八幡宮の駐車場に車を止めさせてもらい城を目指したが、ルート案内の標識が十分でなく特に山の登り口が分からず少し迷った。

 

山頂郭(主郭)写真

虎口

 

南郭写真

 

主郭下の腰郭写真

虎口

 

北郭写真



西側横堀

虎口

 

北端堀切写真

 

西堀切写真

西端堀切

 

遠望写真

 

  • 参考文献

  韮崎市教育委員会  1999年3月30日 発行

   白山城総合学術調査報告書 白山城の総合研究

真篠砦

 

真篠砦縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

南部町役場から北に見える、富士川右岸の国道52号線が麓をアースシェッド(覆道)(標高259m/比高約富士川水面より200m・真篠集落より70m)の山頂が真篠砦です。

現地の説明板では、駿河から甲府に向かう河内道が真篠砦の南から西の鞍部を通っているので真篠砦が作られた目的は、街道と富士川の水運の監視、および駿河侵攻の中継地としての目的があったように思われます。

山頂部は周囲を高い土塁で囲まれた東西南北約50m強の郭で主郭と思われ、北側中央に平虎口、南東角は形から外桝形虎口と思われるが現状は下の郭からのルートが不明。南西角も土塁が切れているが後世の改変と私は思います。

主郭の南は約40×30mの削平の良い郭があり、西には西に傾斜した削平地で郭と思います。

西の削平地のさらに西に延びる尾根上面が約80mの郭となっていて、その先端に規模の大きい堀切と小郭があります。 

この城の最大の注目点(疑問点?)は、南の郭の南の鞍部を超えた尾根上面いっぱいに土塁7本が尾根の軸線と平行につくられており、通常の堀、土塁(畝堀)であれば放射状になりますが、これでは城に向かって侵入に対して阻止効果はないように思い、私には意味が分かりません。この土塁列のすぐ南に河内道が通っているので関係あるかも。

 

山頂郭(主郭)写真

北側

南東角虎口(外桝形?)

西側

南側

南西角

 

西削平地(郭?)写真

 


西尾根先端堀切写真




土塁列写真

 

遠景写真

 

  • 参考文献

   株式会社 新人物往来社  昭和55年10月15日 発行

    日本城郭体系 第8巻 長野・山梨

 

桃井城

  • 城名 桃井城(もものい)
  • 所在地 長野県下伊那郡松川町生田部奈(べな)

カシミール3Dスーパー地形

セミナーか何かで紹介された桃井城、ずうっと頭の片隅に引っかかっていました。

今回の山梨遠征の帰路に寄ってきました。

天竜川に小渋川合流する東に標高約650m(比高約190m天竜川水面)、東西南北約1kmの平坦な地形が広がっているのには驚きました。

城を探していると、「部奈文化伝承センター」があり位置を教えてもらいましたが、夕刻が迫っているので地形のことや、部奈の地名のことなど詳しく聞くことができず残念です。

城は西の崖の縁を約50m弱の堀で区切っており、堀の西側には現状僅かしか平地がありません。現地説明版には長年の崩落が原因と記載されていますが、私が見た限り確かに急傾斜ですが西に向かって尾根が下がっていて大きく崩落したようには思えません、城郭体系では100m規模の城とあり、私は逆に堀の東側が現在耕作地ですが、そちらに城域があったのが後世の開墾で失われ様にも思えます?

 

空堀写真

堀の西側郭?写真

遠望写真

 

  • 参考文献

   株式会社 新人物往来社 昭和55年10月15日 発行

    日本城郭体系 第8巻 長野・山梨