比丘尼城・姥ヶ城

 比丘尼城・姥ヶ城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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 京都府綾部市の東、由良川と合流する上林川が流れる上林谷は全長わずか約15kmの間に、南の入り口に山家陣屋と其の山城である山家城をはじめ、発掘調査が行われた生貫山城(上林城)、畝堀が特徴な日置谷城、梨子ヶ岡城等20か所程の城があります。その中で上林川と畑口川の合流点に特徴的な縄張の城、比丘尼城、姥ヶ城の2城があります。比丘尼城は集落背後の標高約170m(比高約20m)の丘陵に、かっては丘陵中央を分断するような高さ約3mの南端で西に折れる土塁や、古墳3基が藪地の中に見る事が出来たが、今回お話を聞く事が出来た山主によると昨年森林組合により重機で間伐が行われ、丘の北縁に沿って西の古墳の手前で南の山腹に降る重機の道と、残る2基の古墳の裾を削る道、北縁の途中から東に入って土塁の虎口を抜ける道が出来ており歩きやすくはなっているが粗半壊状態です。京都府の報告書やブログ山城賛歌氏の図面はこれ以前の状態で、近畿の城館の図面はこの間伐の以降のものと思います。中央土塁から外(東)は墓地などの造成により改変が大きいと私は思います。姥ヶ城は比丘尼城から谷を挟んで約100mの尾根先にありますが、この谷は現在水田を放棄した湿地で渡るのには苦労します。城のある尾根の上にあがると以前と比べると藪が少なく歩きやすくなっていました。尾根上は郭とした削平地は南北両端にわずかに見られますが粗自然地形です、この尾根の西側斜面全域に明確に空堀が残っています。東側斜面には部分的に空堀の痕跡が見られますが、切岸となっています。なお西の麓付近にある溝状のものは水路、窪地は炭焼きの跡などの耕作に関連にしたものと私は思います、

 

比丘尼城写真 

中央土塁内側(西)

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 中央土塁外側(東)

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 南土塁痕跡?f:id:temeraire1839:20191220233310j:plain

 古墳3基を東から撮影

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姥ヶ城写真

西側空堀中央部

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西側空堀食違い部 南より 

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 西側空堀中央部上より

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 西側空堀北部

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西側空堀南部

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 北堀切

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北堀切上の土塁

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 東側空堀北端 

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尾根上面南より撮影

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 比丘尼城遠景写真(姥ヶ城はこの背後) 

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  • 参考文献

    京都府教育委員会

      京都府中世城館跡調査報告書 第2冊 丹波

    城郭談話会

      近畿の城館 5

    ブログ山城賛歌

      上林比丘尼城跡/姥ヶ城跡