タヌケヶ城

 タヌケヶ城縄張図

タヌケヶ城縄張図は高橋成計氏作図、氏の許可を得て使用しています無断での他への使用及び複製しないでください。

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 タヌケヶ城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

増山作図分、同じ城を見てこの様に異なるのは見る人間の主観の差、テクニック的には高橋氏はメジャーを用いているのに対して増山はレーザー距離計、コンパス用いています。最大の差は増山が疲れて休んでいるのにもかかわらず、その間に高橋氏は東斜面の藪の中の空堀を1時間以上かけて調べていた気合の差だと思います。

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 秋本哲治氏より”広報あきたかた”報告された「タヌケヶ城」に秋本氏に案内していただき行くことが出来ました。有難うございました。タヌケヶ城は大峠をはさんで風越山の西の標高509m(比高東約100m/西約150m)のピーク全域を使い築かれていました。城域の北側は岩が露出し幅が10m前後で南に向かって下がっています。南側は最大幅約30mで岩も少なく郭として削平されて痕跡が見られます。タヌケヶ城の注目点は東西の斜面に見られる横堀で一部上下2重になっていて横堀の端は竪堀となって降っています。この様な横堀を主体とする縄張の形は風越山城と共通するように私には思われます。したがって天文9年に尼子氏の郡山城攻めの際に風越山城と同時に大峠の交通を管制する目的で築かれたものと思います。

 

南郭写真

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南西上横堀写真

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南西下横堀写真f:id:temeraire1839:20191107221400j:plain

 

南西端竪堀写真
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南端2重堀切外写真
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南端2重堀切内写真
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西中央部下横堀写真
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西中央部上横堀写真
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西中央部竪堀写真
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タヌケヶ城より風越山
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  • 参考文献 

    安芸高田市政策企画課 広報あきたかた 2016年5月号№147

     秋本哲治氏 安芸高田歴史紀行「シリーズお城拝見」 

     第67回 タヌケヶ城

     (広報あきたかたは安芸高田市ホームページより見ることが出来ます)