長比城及須川山城縄張図
中山道を見下ろす野瀬山山上にあり、近江、美濃の境目に存在し信長公記の記載などから
浅井氏及び朝倉氏による築城とされています。
野瀬山山頂の標高390.9m三角点のあるピークに東の砦、それよりやや下がった所に西の砦。
西の郭より北北西約200mの須川山城と三か所の遺構が見られます。
東の砦三か所の遺構の内一番大きく、北と南に明確な土塁が見られます。
南西と南東の角に虎口がありま。
南西の虎口は平虎口ですが、南東の虎口は鉤の手土塁により外枡形式となっています。
北西角が土塁が切れて虎口の様に見えるが、西の砦からルートが現在ここを通っている為で
虎口では無いと私は思います。
西の砦四方を2〜4mの高い厚みのある土塁に囲まれ、北と南の外側は切岸となっています。
南西角に平虎口がありますが西側の土塁が鉤の手状になっています。
東の虎口は、小さいながら外枡形虎口になっています。
西の虎口を出ると南に中山道直上の尾根を下りますが、途中結構傾斜がキツイ所があり本来の
城に上がるルートでは無いように思います。
須川山城西と南に明確に土塁がに残っています。
東側の土塁は崩れたのか低くなっています。
虎口は、南北ともに平虎口ですが虎口部分の土塁上面が広くなっており矢倉台かも知れません。
北の土塁の上からは北の尾根続きのにある竪堀を見下ろすことができ、
この方面を警戒している様に感じられました。
- 参考文献
城郭談話会 2004
図説 近畿中世城郭辞典
日本城郭体系 第10巻 滋賀