大陣縄張図
大陣縄張図は表邦男氏作図、氏の許可を得て使用しています無断での他への使用及び複製しないでください。写真の位置を指示する矢印及び数字は増山が挿入しました。
今回、広島、岡山県で長年精力的に城郭調査を行われておられる表邦男氏に御教えをいただく事が出来ることになり、その中で天文12(1543)年、尼子氏が小早川氏の高山城を攻めた際に築いた陣城である大陣をご教示いただきました。表氏によれば『芸藩通志』の中の大陣山、小陣山、並びに古高山より二十町許の北にあり、尼子小早川両氏対陣の時、屯営の地といふ、遺址を存すの記事及び同書の真良村絵図の「古戦場小陣山大陣山」記載に注目され調査された遺構です。大陣は高山城の北約3kmの標高246.4m(北側からの比高約150m)の山頂に築かれ東西南北約200mの範囲を0.5~1.5mの高さの土塁で囲んでいます。土塁内部は粗平坦で充分な広さがあり土塁線は東側では2重になっており南東部では複雑な形になっている所があり虎口に関連すると私は考えます。注目すべきところは、南の谷を塞ぐように築かれた土塁は北で西に向かって折れて約50m延びさらに北に折れ延びていました。この部分の土塁は高さもあり内部は空堀状になって見応えあるものでした。この様な遺構は尼子氏が築いたとされる天文9年の安芸郡山城攻めの「風越山城」、大永7年(1527年)細沢山合戦(尼子氏と大内、毛利氏の戦い)のハチが壇城、南山城などに共通する特徴が見られると私は考えています。今回大陣の調査を可能になったのことについて、表氏にお世話になり感謝いたしています。
芸藩通志 真良村絵図
写真位置1 南東角土塁 虎口?
外側
内側
写真位置2 南東土塁折れ部
写真位置3 南谷部土塁
写真位置4 西に延びる土塁食違い部
開口部(現地にある看板に「南虎口?」とあります)
写真位置5 西に延びる土塁先端部
- 参考資料
大陣に関するものは、表氏にいただいたもの
風越山城等に関するもの 芸備地方史研究会
芸備地方史研究 第230号
長谷川博史氏
大永7年備後国和知郷細沢山合戦と陣城遺構