高梁市の東は標高500m前後の高地になっています。
その中の標高598.5mの尼子氏の高梁城攻めの陣の伝承のある陣山から南東方向に
約2.5km周辺には人家が散在するものの耕作地があまり見られ無い所に馬之城は
ありました。
現在、馬之城の丘の南に広域農道が通っており訪れるのには苦労しません。
南北に長い丘の南半分に東、北、西にかけて幅、深さとも最大4mの空堀を掘っています。
形態的には、伊賀によく見られる土塁囲みの単郭の城館によく似ています。
しかしながら、郭には土塁が北側に掘り残した土塁が有るのみで、しかも上面の高さは背後の
丘陵より低く防御的には意味がありません。
南には、住宅(地主さんです)があり改変が見られ旧態がよく分かりません。
郭の南にも低土塁が見られます現在郭に入るのには、この土塁の西側を切り込んで入って
いますが東側の郭が約7m南にのびて虎口のようになっています。
空堀写真
空堀写真
- 参考文献
増補版高梁市史 上巻