境城

 

境城(仮称)縄張図(国土地理院の電子地形図25000)


ツイッター上で積極的に調査報告されている森本勝己氏が、養老山系の多度山中で発見された境城(仮称)です。

多度山頂(標高402.8m)から北西に尾根続の約1.2kmの地点の小ピーク(標高486.4m/比高約480m)に境城(仮称)はありました。

遺構は、約40×20mの基本単郭で東、南、西に低土塁、北の土塁は郭内からの高さが約3mがあり、その根元が大きく掘り込まれているのはその土を土塁に利用したと見ました。

最大の見どころは、南東角にある食違い土塁による虎口で、2折れして郭の奥に入るようになっています。

北の土塁の外(北)は一段高く小削平地が有りますが、東斜面が大きく崩落しているため、本来どの様な形であったか不明です。

北、南の斜面には空堀が見られます。

東から尾根伝いに歩いてくると東斜面が約5mの切岸になっているのが印象に残りました。

遺構全体を見た私の思いは、私が今まで見た織豊系(主に三木、鳥取、高松、津山の秀吉関係)、北畠氏の影響を受けた名張地区の陣城と比較して必ずしも織豊系の陣城とするものでは無いように感じました、これはあくまでも私の感想です。

境城(仮称)の様な、文献及び伝承にも残らない城の調査されることについて、丹波地区では高橋成計も数多く報告(そのうち幾つかには同行しましたが)されていますが、森本氏とあわせ感服するものです。

 

東側土塁写真

 

西側土塁写真

 

北側土塁南より写真

 

北側土塁東より写真

 

北側土塁北より写真

 

空堀写真

 

空堀写真

 

虎口写真

 

東側切岸写真

  • 参考文献

    特にありません