田原城

 

原城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

田原川が流れる谷の田原集落の背後(北)の山頂(標高323m/比高約160m)が田原城です。

山頂部は比較的削平の良い郭で、その北から東にかけて低い切岸で一段低くなっています。

南部は現在、麓からの作業道が取り付いており何らかの作業が行われてようで、郭の形がよくわからなくなっており、南端の堀切も痕跡程度になっいています。

北端は堀切で、東斜面には痕跡程度のものも含め6本の竪堀が見られます。

 

東部切岸写真

 

北部切岸写真

石組?

 

虎口?写真


北堀切写真

 

竪堀写真

 

遠景写真

 

  • 参考文献

   京都府教育委員会  2013年3月発行

    京都府中世城館跡調査報告書  第2冊:丹波

高田城の竪堀

 

真庭市指定史跡高田城総合調査報告書の高田城城域地形図に加筆

美作国の山城」の高田城の図面には、小屋ノ段から現グランド間の斜面に6本の竪堀が書かれていますが、県報告書の図面にはありませんので確認に行った来ました。
現地は急斜面で藪のため確認に苦労しますが、不明確なものも含め6本前後の竪堀りを確認できました。

毛利氏による改修の痕跡か?

この辺は山形省吾氏はよく見ておられます。

 

最北の竪堀

 

  • 参考文献

   真庭市教育委員会  平成27年3月31日 発行

    真庭市埋蔵文化財調査報告書6

     真庭市指定史跡高田城総合調査報告書

   津山市教育委員会 生涯学習部 文化課 

             平成22年10月30日 発行 

     美作国の山城

桝形城

  • 城名 桝形城
  • 所在地 長野県長野市大字上松

 

桝形城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

善光寺背後の地附山の北に延びる尾根のピーク(標高706m/比高約380m)に桝形城はあります。

地附山は1985年に大規模な地滑り災害が発生し、地滑り跡は現在公園で桝形城も公園のハイキングコースになっていますがとくに整備されている様子はありませんでした。

山頂とその南2か所の郭があり、山頂の郭は北西部にわずかな土塁痕跡が見れれますが特筆するようなものありません。南西角に虎口と思われる落ち込みがあり下ると西斜面に土塁のある横堀があり、横堀の北端は北に下る竪堀で、南端は西に折れて西端は現在登山道ですが竪堀か、東端も竪堀だが途中で止まっているみたい、中央の竪堀は東に折れて続いているように見えます。

南の郭は、山頂より5~6m低く幅15m長さ50mの規模で、南側全域に土塁がありその南は現在登山道になっていますが土塁上面からの高さが3mの空堀があります。

山頂と南の郭の間はもともと谷地形であったものを掘り下げたような感じがしますが、季節的に藪であまりよく分かりませんでした。

 

山頂郭写真(主郭?)

 

南郭写真

 

  • 参考文献

    webサイト 「らんまる攻城戦記〜兵どもが夢の跡〜」

          さんを参考にさせていただきました

 

近江のシシ垣

山城を歩くと注意しなければ誤るようなものがたくさんあります。

祖先が山中に残した改変の跡、耕作や尾根を通る山道の切通等、地滑りによる地形の変化いろいろ頭を悩まします。

webのサイトでは全国で数十か所紹介されていますが、今回初めて近くの滋賀県のシシ垣を見てきました。

 

シシ垣 大津市荒川

集落背後を囲む様に500m以上残されていました。最も高いところは2m、幅も基底部で2メートル以上、大きい石を積み上げた立派のものでした。

 

「峠のシシ垣」米原市

伊吹山石灰岩の採掘場所の下、標高350m付近に西に張り出した台地状の尾根を越える峠道に沿って耕作地(畑)を囲むように築かれていました。人頭大の石を乱雑に積みあげたように見えます。この地区は江戸期には浜松藩領であったようで驚きました、

 

釣鐘尾城

 

釣鐘尾城縄張図(国土地理院の電子地形25000)

 

谷田川の左岸、初鹿野集落の背後(西)の山(標高94.5m/比高約80m)が釣鐘尾城です。

山頂は南北にピークがありそれぞれが郭で、北と南の郭の間は鞍部となっていますが特に堀切っているように私には思えません。

北の郭は全周を5.0m前後の切岸で切り落とし、東縁は低いが幅の広い土塁でその南端が虎口の様に思います。北と東に延び尾根に郭がありそれぞれをつなぐように腰郭となっています。北と西の斜面には竪堀あり、特に北尾根の西側の竪堀は規模が大きく明確なものです。東の谷部にも規模の大きな竪堀の様なものが在りますが崩れか?、北尾根の少し下がったところに数段の削平地、東尾根にも切岸が数段見られますが明確でありません。

南の郭は南側に2か所、北側に一か所の明確な折れがありその周辺には土塁が見られ、特に南東の折れ部の土塁は高くなっています。北の郭と比べ周囲の竪堀は少なく南東の折れ部の下には堀切とつながる竪堀があります。北角には2か所の削平地があり現在その間を登って郭に入れる様になっているので虎口に関連するものか?

 

北郭写真

虎口?

北西尾根竪堀

東下郭

東谷部竪堀?(崩れ)

北尾根郭

北尾根竪堀

 

北、南郭間の鞍部

 

南郭写真

郭上面

北土塁

南東部土塁

南西部折れ

北部折れ

北下郭

 

遠景写真

 

   香美町文化財調査報告書 第2集 「香美町の城郭集成」

西幸城山城

 

西幸城山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

広島県世羅町の堀の岡城(2023年1月9日ブログ)と同じように丘の頂部を囲むように切岸及び空堀が囲むような城が、県報告書にあったのでいってきました。

西幸集落の北西で国道から約850m入った丘のピーク(標高241m/比高60m)が城山城です。

堀の岡城と同じように尾根につながるところは明確な空堀形状になっていますが、西側の堀はあまり大きくなく二重になっている外側の堀は痕跡程度です。

堀の岡城と異なるのは、内側の切岸が明確で特に南側の切岸は高さ3m前後で50mほど続いています。

北の角の部分の外側が土塁状に見えるのであるいは空堀だったのか。

なお切岸で囲まれた内部は、自然地形で郭を作ったような形跡はないように私には見えました。

堀の岡城の場合は、集落と谷で隔てた丘で頂上にお社があるので集落と何か関係があると思いますが、城山城の場合は集落から遠く見通しもよくない地形で、城のある意味が私にはよく分かりません。

 

東堀切写真

 

南側切岸写真

 

北東側切岸写真

 

空堀?写真

 

北西側切岸写真

 

西堀切写真

  • 参考文献
     岡山県文化財保護協会  令和2年2月28日
      岡山県中世城館跡総合調査報告書 第3冊 美作編

 

中央構造線博物館 大鹿村

大鹿村 中央構造線博物館

今年の長野県の旅行の目的地の内のひとつ

岩石標本がたくさんあり、分かりやすい解説で楽しく見学した。

学芸員の方がいなくて残念だった。

 

今回は構造線の露頭には行けなかったが、北川露頭のはぎとり標本が展示しあった。

 

大西山の崩落跡、昭和39年の崩落で42人が死亡した。

領家変成帯の花崗岩やその変成岩の斜面が地滑りしたのでなく、斜面が割れて川に倒れこんで大規模な災害になった。