山崎丸縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
福寿丸縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
浅井氏の本城である小谷城は、国土地理院の地形図で小谷山(標高494.6m)山頂から東に向かってから南に降る尾根上にあります。小谷山山頂には大嶽城(2017年11月2日ブログ)がありここから直接南に降る尾根上に今回の福寿丸、山崎丸があります。両方の遺構共に基本的には方形の土塁囲みの縄張りで特徴的な食違い虎口を持っています。どちらも地形的な制約で形が決められたのではなく方形を意図した縄張りであつたと思われます。織田氏が小谷城を攻めた際に大嶽城を含め朝倉勢が築城したとたとされますが、少なくとも私が朝倉氏の本拠である越前で朝倉氏が関わった城でこの様な遺構は見る事が出来ませでした、ただ周辺の加賀の一向宗徒に関わる城では土塁囲みや食違い虎口が小松市の覆山堡、中峠北城等で見られます。(2019年2月8日ブログ)また敦賀の中山の付城(2015年10月11日ブログ)岩出山城(2015年9月28日ブログ)駆倉山城(2018年8月19日ブログ)等は朝倉氏の陣城の典型として語られますが私には疑問に感じられます。今回の福寿丸、山崎丸の縄張はいずれに対しても性格が異なる様に感じられます。まあ素人の妄想ですが。
山崎丸写真
内部北より写真
南土塁写真
南土塁折れ部写真
北土塁写真
北虎口写真
東土塁写真
中央土塁写真北より
福寿丸写真
内部北より写真
内部南より
北側土塁写真
東虎口写真
- 参考文献