石龕寺城縄張図(国土地理院の電子地形図250000)
観応の擾乱で足利尊氏が嫡子義詮等に陣取らせた、石龕寺の背後(北)標高約490mピークは岩戸山とされている。岩戸山は北に標高約548.6mの山頂を経て高見城山に通じている。岩戸山の山頂は中央部を削り残し西と東に狭小な削平地が作られている。東の削平地の根元にある巨石の西側に溝が掘られているが、これはこの巨石にワイヤーをかける為に掘られたもので城郭に関連したものではい、おそらく南にあった鉱山に関連するものと思います。この様に各地に鉱山に関連する様なものがあり判断に迷います。山頂の北から続く尾根には3(4)本の堀切が有りその間の尾根上で私が郭と判断できたのは2本目の手前の削平地で、北部には明確に切岸が確認でき北端には石積があります。北西角には虎口の様なものがあり堀切に向かって通路が降りています。この通路の下から西斜面にも石を積んだ形跡がありました。この削平地の南側の尾根が狭くなって西側が竪堀状に落ち込んでいますが確証が持てません、またここに意味不明の石積みがあります。3本目の堀切は石龕寺の奥ノ院に降る道が入り込んでいいるので確実に堀切かどうか迷います。山頂から南に30m下がった所にも郭と思われる削平地があり、北東の隅に竪堀が見られます。
一本目の堀切写真
二本目の堀切写真
二本目の堀切北の石積み写真
二本目の堀切北の郭虎口?写真
3本目の堀切写真
遠景写真 山頂直下山肌が大きく削られているのが鉱山跡
- 参考文献
ホームページ丹波霧の里