久米郡内の城

新城

美咲町新城所在の新城(新庄山城、新城山城)に藪化する前に行ってきました。城跡は現地保存会が活動されているようで登山道の整備や樹木の刈り払いが行われ見やすい状態でした。

新城土塁写真

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土塁中央付近にある虎口とされる切れ込について疑問、写真右の奥に前面に土塁による虎口のある小郭がある、この郭の奥から土塁内面の削平地に上がるスロープが有るので土塁中央の虎口の意味がよく分からなくなると私は思います。

新城以外に、以下以前に行ったところ合わせて紹介します。いずれも図面はまだかけていません。

金室城

棚原小学校の北の山、南麓のお宅の裏から山に入らせていただき東西の郭の鞍部の郭にたどり着きました。東に向かい堀切を越えて東の郭土塁を越えて郭内へ入りましたが以前伐採した後の藪がひどく自由に歩けない。東下の郭には重機が入った様で破壊がはなはだしい。

東郭土塁

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城ノ尾山城

三咲町藤田上、藤田下境の道路の南の尾根上に郭、郭西から北に土塁が見られます。

土塁写真

f:id:temeraire1839:20190407105919j:plain龍王山城

久米南町下籾の国土地理院竜王山(標高367.4m)ではなく、その南にある籾井神社のある山で神社の上の山頂の北、西、南に空堀が見られますが、それ以外は神社建立に関連するのか破壊がありよく分かりません。

空堀写真

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久米南町山手所在大西構

さんざん迷った挙句偶然大西構下の人家にたどり着き、人家の方に城を見せていただけるようにお願いしたところ、かたくなな拒否でいざこざは避けるべく帰って来ました。30年以上城を歩いたが松茸以外でこの様な否定にあつたのは初めての経験でした。

 

久米郡から外れますが美作市位田所在の勝間城

吉野川の西岸の標高約150mの山上が勝間城です。山頂北の下に空堀が明確に見られますが、空堀外の土塁天端までは果樹園となっているので綺麗に下草が刈り取られているが、空堀から郭内面にかけて猛烈な藪で遺構の確認に苦労します。

果樹園越しに見える空堀写真

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  • 参考文献

株式会社 新人物往来社

  日本城郭体系 第13巻 岡山

おかやま全県統合型GIS

  遺跡地図

津山市教育委員会  生涯学習部 文化課

  美作国の山城

ホームページ 落穂ひろい内

  古城ひろい 美作の城

 

徳久城

徳久城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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県道53号を千種川に沿って北上すると東に見える山が徳久城です。いつも気になっている山でしたが、全く情報が不足しておりその山が徳久城であることは下記のネットのサイトとを見てはじめて知りました。城郭大系の記載事項は縄張図なしの簡単な解説のみで実際に今回歩いてみると全長200mを超える堂々たる山城でした。東西のピークに郭がありその間の削平地には南側からあがつて来ると思われる虎口が見られます。東のピークの上の郭は概ね2段によく削平されて上段の郭には北側に張り出した部分から登る様になっているように見られることが面白いと感じました。下段の郭は西から南にかけて少し低くなって通路状になっている様に見え、その南の岸には痕跡程度のものも含め7本程度の竪堀が見られます。東西の尾根は深く掘り込んで堀切、竪堀として強く遮断しています。

 

西堀切写真

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東郭写真

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東郭南切岸竪堀写真

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中央鞍部郭写真

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東堀切写真

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遠景写真

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 参考文献

   株式会社 新人物往来社

     日本城郭大系第12巻大阪・兵庫

   ホームページ

     しそうSNS・E-宍粟

   えすくおやじさんブログ

     根多帖別冊 

 

 

 

変態編?

株式会社 双葉社発行

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普段は、この手の本を買うことはないが新聞広告のタイトルにひかれて購入しました。掲載されている城は、すべて知られているもので確かに熊野市の赤木城の様に交通の便の悪い城もありまが車で行けば特に問題はないと思う。初級、中級、上級とランク分けされ最後に変態編として御所山城、御坂城、玄蕃尾城、周山城、長野城の5城が紹介されているが、このすべてに行っている私は変態扱い?、周山城は20年前の冬毎週のように行ったが当時は鉄塔道しかなく藪山でしたが、近年は保存会が活動再開しており整備されています。玄蕃尾城も整備が進み気持ちよく見て歩く事が出来る。長野城は林道で以前は主郭下までいく事が出来た様ですが歩くしかないのが現状で、最初に行った時は正月の16時前に麓の寺で日が暮れるので止められたが何とか日没までにか帰ってきました。御所山城はターンバイクからの入り口が分かりにくく確かに苦労します。御坂城には最初1995年3月21日上九一色村サティアンの前を通って行き、その後を含め3度行きましたが天下茶屋からの尾根道は黒岳へ至る縦走路なので結構人に行きあう道です、城で図面を書いていると何をしているかと何度も声をかけられ閉口しまた。場内は笹薮が多く遺構をみにくい城ですが、最後に行った5月の頭は笹が無く気持ちよく見る事が出来ました。

 

2009年5月3日の御坂城の空堀写真

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中山砦

 

中山砦縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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 山梨県北杜市白州町の南、北を釜無川、南を大武川にはさまれた標高882m中山の山頂に中山砦があります。中山の西のかたを道が通っており尾根を越えるところに国土地理院の地形図には中山峠の表記があります。この峠から中山砦まで距離750m、高低差も150mあり、またみとうしもきかないので峠の監視を目的としたものではない様に私には思われます。中山砦は東側の一部を除き2m前後の土塁で囲まれており中央付近を土塁で2分割されています。虎口は北側の部分の東西に一か所ずつ見れれます。南の腰郭の下には現地の説明板では、三日月堀とされる遺構がありますが堀切でよいとと思います。北東と南に続く尾根には堀切が報告書には記載されています、また西に続く尾根のピークには展望所がありますが、展望所と中山砦の間の尾根上には2箇所堀切が見られます。

 

北郭写真

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北郭西側土塁写真f:id:temeraire1839:20190322001344j:plain

 

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中央仕切り土塁写真

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南郭西側土塁写真

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南郭南側土塁写真

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西尾根堀切写真

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 遠景写真

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  • 参考文献

   北杜市教育委員会

     北杜市埋蔵文化財調査報告第35集

     市内城館詳細分布調査報告書   

  

広岡城

-城名 広岡城(本郷城)
-所在地 兵庫県用市佐用町大垣内

 

広岡城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)f:id:temeraire1839:20190310211429p:plain

 

2013年9月13日ブログの百々蔵城より、東に約1kmで南東の麓に正覚寺がある標高約300mの山が広岡城です。山頂の不定形の削平地と東に続く幅10~15mの削平地が約150mにわたって続きます。この削平地は中央やや西で竪堀により二分されており、内部の削平は充分と思えず意味の分からない掘り残しや段が数か所見られます。しかしながら北側の切岸は1~2mあり東先端部では3m近くの高さが見られます。

 

山頂直下郭?写真 f:id:temeraire1839:20190310145143j:plain

 

堀切写真

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中央部削平地写真

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中央部北側切岸写真

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先端(東)部切岸写真

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遠景写真f:id:temeraire1839:20190309132444j:plain

 

 -参考文献
株式会社 新人物往来社
  日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫

谷垣城

  • 城名 谷垣城

  • 所在地 京丹後市丹後町是安

谷垣城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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 丹後市間人から竹野川に沿って約4キロの間に北から岩木城跡、岩木南城跡、大山宮ヶ谷城跡、大山白石城跡、大山城跡、是安の集落のある谷の西に是安城跡、東に今回の谷垣城、谷垣城の北に吉永城跡、南には成願寺城跡城が存在します。この様な狭いところに城が集中している理由については私にはよく分かりません。これらの城の中では谷垣城は最大の規模を持っています。北の尾根先端にある神宮神社からの道を上ると堀切が有りさらに約40m自然地形の尾根を上ると城に至ります。谷垣城は中央やや北を堀切で2分した二つに郭があります。どちらの郭も削平は良く、南(うえ)の郭は西側が一段高くなり、東側に腰郭が見られます。南の郭の南端は切り下げて空堀として空堀にたいして竪堀列が入っています。北端堀切の上には虎口と思われる土塁があります。

  

南郭虎口写真

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南郭北側写真

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南郭北側写真

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南端竪堀列写真

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北堀切写真

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-参考文献
京都府教育委員会
  京都府中世城館調査報告書 第1冊 丹後編

京都府自治体情報化推進協議会
  京都府・市町村共同 統合型地理情報システム(GIS)遺跡マップ

医王山城跡周辺おかやま全県統合型GISがリニューアル

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近、医王山城跡周辺のおかやま全県統合型GISがリニューアルされ2013年9月22日、2017年10月3日のブログで取り上げた、北側の梶間山城跡、天狗寺城跡、烏ヶ仙城跡、塩屋ヶ城跡、吉見仙砦跡、南側の藤田山城跡、鉢伏城跡、などが今回表記されました。