浅堀木城

 

浅堀木城概念図(国土地理院の電子地形図25000)

 

松阪市の東部、伊勢街道が櫛田川を渡るところの南にある低丘陵地地帯の西端の標高40m(比高30m)の丘が浅堀木城がです。

ピークが東西2か所あり鞍部から南に谷状になっていますが土取りの跡か?、ここから東にかけて等高線の30mに沿って(現在の丘の麓から高さ10m前後)約300mにかけて横堀状の地形がみられ、深さ最大1.0mで殆どのところ0.5m前後で道の様に見えます。

この掘?から上に向かいましたが城に関する様な地形は見当たらず、後世の開墾があったとしても郭などの削平地等一切見ることができず不思議な感がします。

浅堀木城について調べましたが分かることが少なく、唯一「徳和住民協議会News VOL.6 平成27年5月20日発行」によると上川町葛岡に城があり堀の跡が残っていて、敵が攻めてきて朝亡んだので「あさぼろけ」との伝承が残り、城は離れた大聖寺という地名にのところにあったとの古老の伝えがあったようです。山を開墾したときに土器が出土したとも(かんべ民俗誌)書かれていました。

広島県にも同じような城、世羅町の「堀の岡城」(2023年1月9日ブログ)があります。こちらのほうも頂上部分から横堀までの間の斜面には城に関するような遺構は見られません、堀の岡城の場合尾根のつながるところは明確に横堀でそれ以外のところでも切岸状になって一周して残っており、部分的に外側に土塁が見られます。

 

横堀?写真

 

遠望写真

 

  • 参考文献

         伊藤 徳也氏著 2022年2月8日発行

        再発見 奥伊勢の城

        松阪山城会  令和元年12月1日 発行

   松阪の城50選