妙高山東城縄張図
妙高山東城縄張図は高橋成計氏作図、氏の許可を得て使用しています無断での他への使用及び複製しないでください。
図中の写真の位置を示すアルファベットは増山が追加しました。
妙高山山頂付近にある神池寺は、創建が奈良時代に遡る古刹で現在も多数の規模の大きな堂塔、僧房址の平坦地をみることが出来ます。
この神池寺の南、妙高山から東に続く尾根上(標高551m/比高470m)に妙高山東城はあります。
丹波地区で長らく城郭調査を行っておられる古くからの友人が、赤色地図から確認され高橋成計氏が調査をされました。
可能性で記録及び伝承など何もありませんが位置の関係上、内藤宗勝、明智光秀の家臣藤田氏の黒井城攻めに関連するかもしれません。
東西を堀切で遮断して、その間に自然地形に近い数段の削平地(郭)があり、削平地の南北は自然石、岩を利用し一部石を積んだような箇所の所もある高さ2m前後の切岸が続きます。切岸の下のおもに南斜面に明確ではありませんが短い(5m前後10m超えるものはないと私は見ました)竪堀が多数掘られていました。他に東の堀切の東に食違いの虎口の様な箇所が確認できます
この様な明確な遺構を持つ城がある事に驚きです。
なお郭内の石塔は、大江山の鬼退治の伝承に伴うものと神池寺さんでお聞きしました。
A部写真(食違い虎口)
B部写真
C部写真(横堀?)
D部写真(東堀切)
E部写真(竪堀)
F部写真(竪堀)
G部写真
- 参考文献
ありません