釜峰山城縄張図(国土地理委院の電子地形図25000)
庄原市の北部にある釜峰山の山頂から南西に降る尾根先端(標高721m/比高約440m)に釜峰山城はあります。
城の遺構はピークの郭(おそらく主郭)とその西に2段の郭、下段の郭には井戸郭と標識があり、東方向に腰郭となり伸びていました。
さらにその南(下)に、2段の郭があり下の郭の南側は土塁状となり、上段の郭の角で開いて虎口状になって現在は登山道がここに入っています。
この上下の腰郭の東は、ピークの郭までとどく竪堀で限られています。
釜峰山城の特徴である山頂に到る東の尾根の7重の堀切ですが、岩盤を掘り下げているので深さはさほど深いもではありません、また南北の斜面が約45度あるような急斜面のため長く掘り下げていません。ピークの郭から1番目の堀切までの高さが約15mありまた7番目の堀切までの距離は約100mで、何故この尾根をこの様に多数の堀切で切り刻むのか私にはよく分かりません、現在は城を通って山頂まで登山道がありますが、逆に山頂からの古道があったのでしょうか、地形図では山頂から北に少し下がった所に破線道、さらに北側にアスファルト道がありますがこれらは中世の古道を踏襲するものでしょうか、であるのなら尾根を遮断する必要があるかもしれません。
備陽史探訪の会の城郭部会調査報告(比婆郡口和町)では天文22年の泉谷合戦では尼子氏が本陣を釜峰山城においたとされ、後に毛利方の黒岩城に対して御所陣山(2021年5月10日ブログ)に本陣を進めたとあります。
登山道取りつき郭写真
ピーク郭(主郭)写真
2段目の郭写真
3段目の郭(井戸郭)写真
主郭南竪堀写真
堀切7番目写真
堀切5番目写真
堀切4番目写真
堀切3番目写真
堀切2番目写真
堀切1番目南側写真
堀切1番目北側写真
遠望写真
- 参考文献
株式会社 傒水社 令和3年2月1日 発行
表 邦男氏著 広島県の中世城館を歩く
webページ 備陽史探訪の会