大河城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
丹波竜の発掘で有名になった篠山川が流れる山南町谷川の谷の西はし付近、右岸の大河集落背後の標高約260m(比高160m,225.9m三角点は山頂より下がったところのピークにあります)の山頂部と、標高約170mの尾根の張出の2か所に城郭遺構が見られます。兵庫県の遺跡地図には下の部分については記載がありますが、山頂部分はホームページ丹波霧の里の管理者である天々宇知栗さんが大河城として報告されています。上の城は数段の明確でない区画があります。西側には切岸が明確に残っています。北の切岸には土留めと思われる石積みが見れます。この下北側に約30mを下ると鞍部がありますが堀切の様なものは見られませんでした。下の城は最高部から西は不明確な2段と東側は2m程度の切岸が3段に分かれています。北側には2~3mに切岸がありその縁には不明確ながら土塁が見られます。この城で特徴的なものは切岸の東西の端付近に3m程度の張出がありこの様な張出は丹波では見ないものです。この谷は久下氏関連の城が多くありますが、大河城の城主は山内氏で瑞穂町の三宮城とこの地に分かれて住み着いたの旨の話を麓のお宅に方に聞く事が出来ました。
山頂郭写真
山頂北切岸石積写真
下の城東部郭写真
下の城北西張出写真
下の城北東張出写真
下の城東堀切写真
下の城北切岸写真
遠望写真
- 参考文献
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