長井坂城

長井坂城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)f:id:temeraire1839:20190519143900p:plain 

 沼田を経て関東平野に流れ出る利根川は、赤城山の西麓を深い渓谷を穿ち流れています。この渓谷の左岸(東)の崖の縁を利用して長井坂城は築かれていました。長井坂城の現状は、北、東、南を土塁で囲まれた主郭は整備されて見やすくなっています。主郭の西側は崖になっているので土塁は見られません。北と南は空堀があり東側の二の丸との間に沼田街道が通っており、本丸の堀の様になっています。本丸の南東角が虎口とされていますが直接沼田街道に開いてしまっているのであり得ないように私は思い、おそらく城が機能している時点では、東の三の丸の外に迂回させていたのではないかと思います。主郭の北の空堀を隔てて馬出郭と表示ある郭がありますが、後世の改変もあるかと思いますが、現状からは私は馬出郭の機能は無いと思います。本丸の南には堀を隔てて、幅約15m郭とその南に土塁があります、この土塁の南に空堀が書かれた縄張図がありますが、現状は後世の改変によるものか私は見る事が出来ませんでした。この郭の東の沼田街道を隔ててある郭は、西側に高い土塁、南側には土塁というより小山の様な高まりがあり櫓台の機能を果たすように思います。この郭の南は約30mの空堀で城域の南を遮断していました。二の丸、三の丸は現在耕作地となっており当日作業を行っておられたので、中に入る事が出来ず外側から見るしかできませんでしたが二の丸の東側の張出部分などは確認することが出来ました。なお関越自動車道は、城の手前で地面にもぐり(長井坂トンネル)本丸直下を通って崖の面へ出て永井川橋を渡っています。この様なルートは長井坂城を保存するためとのことの様です、地元自治体、道路公団いずれの決定かしれませんが工費、工期など考えるとあまりあり得ないことと思います、英断と私は思いました。

本丸南側堀写真

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本丸北側堀写真

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本丸南側土塁写真

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本丸北側土塁写真

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本丸虎口写真

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南東の郭写真

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南の郭土塁写真

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  • 参考文献

   webのサイト

    埋もれた古城 さん

    土の城への衝動 さん

    余湖くんのお城のページ さん

         参考にさ て頂きました。