松倉豊後守砦その2

松倉豊後守砦縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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 天正9年伊賀の乱の際、筒井勢の伊賀(名張)進攻のルートについて私は、笠間峠と、笠間峠より直線距離で約10km上流の治田に、筒井城と呼ばれる天正伊賀の乱の時作られた伝承のある城に出るルートがあると思っています。前記の二つのルート以外に二ヶ所の中間付近の広瀬には、地元の聞き取りでは渡しがあった様で西岸には広瀬山城、東岸には近年、伊賀城研により陣城遺構(ヒウラ砦)が確認されました。広瀬から鵜山を経て名張に出たところに今回の松倉豊後守砦があります。八幡工業団地の西端にわずかに残った比高約70mの丘のピークから南に三段の郭が現在確認できます。上段の郭は丘のピークを掘り込んで周囲を土塁状に掘り残した伊賀によくある形です。中段郭は東以外に低土塁があります。上段、中段とも南の中央付近に土塁の切れ目がありますが虎口とは私には断言できません、下段の郭は一部を除き低土塁が見られ南東角に場外からの道が取り付いています。この道は中段の郭に竜神を祭っているのでそのための後世の参拝のためのものかもしれません。上段の郭東背後切岸下には堀切の痕跡があります。現在城跡付近はギフチョウの保護地に地元で管理されているので立ち入りが制限されています。
  

上段郭東背面切岸写真

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 上段郭内部写真

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 上段郭南部土塁写真

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上段郭南より写真 

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中段郭北より写真

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中段郭南部土塁写真

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下段郭南部土塁写真

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下段郭西部土塁写真

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遠望写真

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段の城上

  • 城名  段の城上
  • 所在地 兵庫県多可町中区門前
     

段の城上縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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兵庫県多可町の妙見山(標高692.4m)の南麓にある中区門前の集落を囲むようにある東西の尾根があります。東の尾根野先端付近の標高364mのピークは畝堀の特徴がある貝野城です。西の尾根先端には空堀による段垣内構居、標高294mのピークは段の城下、そして標高479.6mのピークは今回の段の城上です。なおこの尾根が妙見山の頂上直下でつながるところに、2014年2月7日ブログの妙見山砦があります。段の城上は標高479.6mのピークから南に向かって北部(場広山、伝本丸)、中央部(伝南城)、南部の郭があります。北部の郭は山頂の40mを超える削平の良い郭から南に3段の郭がつづき、最下段の郭から山頂郭の東に開いた虎口まで通路があります。山頂郭の南東斜面には岩を放り積んだような所がありますが、現状は石垣には見えずあるいは崩れたもの(可能性は低いと思います)かと私はおもいました。なお通路に面したところには明確に積んだと見えるところはあります。北部の郭から中央部の郭にかけての尾根上には巨石が林立しており通行できません(西側に回り込んでルートがあるようです)北側に巨石の間を通るようなところがあり「伝門石」とあります。中央部郭は、北と南に一段低くなった郭があり西側の帯郭がつないでいます。このうち北側の郭(伝水呑場)には現在NTTの中継局が建設されて改変があると思われます。当然建設にともない調査が行われたと思いますが報告書等私はいまだに見つける事が出来ません。中央と南部郭の間にはもともとあつた谷地形を掘り下げて堀切になっています。南部の郭は切岸で区画されて二つの郭が中心で郭の間は堀切状になっていますが斜面には降りていないように私には見えました。南端には東は不明確ですが西側は明らかに竪堀が入っています。これから先の南には2~3段の削平地が見られます。

 

中央部郭南虎口写真

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中央部郭西切岸写真

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中央部郭北虎口写真

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中央、南部郭間の堀切写真

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南郭南切岸写真

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南部郭中央堀切写真

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南部郭西竪堀写真

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南部郭北切岸写真

 

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中央、北部郭間の巨石による阻塞?

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山頂郭虎口写真

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山頂郭東斜面の石積写真

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遠景写真

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  •  参考文献

    兵庫県西脇市教育委員会

      播磨・水尾城遺跡の調査と研究

 


     

 

今城山城

今城山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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紀の川市の、紀ノ川と四邑川が合流すところの東に北山(標高586.7m)から東に龍門山(標高756.3m)にかけて600~700mの山が続きます。このうち飯盛山(標高745.6m)山頂には飯盛山城、北山の南の麻生津峠をへだてて標高630mのピークが今回の今城山城です。紀の川から南を見ると急峻な山並みですが飯盛山の山頂付近まで車道が通じており狭いながら今城山城まで車で行け、駐車スペースもあるので車を降りて5分も歩くことなく城までたどり着けます。今城山城の縄張は中央やや南よりを空堀で二分した2か所の郭からなっており、南の郭は南から東にかけて空堀が見られ南よりの所に虎口に関連すると思われる土塁が見られます。北の郭は空堀に面して土塁があり東端で北に折れて伸びて内側を空堀としています。東側から北、西側にかけて空堀あります。この様な今城山城は東約3.5kmの東西皮張城、南約13kmの平岩城(2016年11月2日のブログ)と共通の形態があると私は思います。

 

 南郭東側空堀写真

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 南郭土塁写真

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中央堀写真

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北郭南東部空堀写真

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北郭北東部空堀写真

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北郭入口石段写真

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北端石垣写真

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遠景写真

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  • 参考文献

  和歌山城郭研究会

    和歌山城郭研究第7号 

     特集 紀の川市南部(川南)の城館跡 23今城山城

    和歌山城郭研究第9号 

     特集 橋本市(旧高野口町)・伊都郡九度山町高野町

          の城館跡 高野山勢力の城郭 

  戒光祥出版株式会社

     図説日本の城郭シリーズ12 戦国和歌山の群雄と城館

 

井中城

 井中城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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井中城は兵庫県遺跡地図及び地元の地誌類等にも未記載の、未確認の城です。
ホームページ丹波霧の里の管理者である天々宇知栗さんから情報をいただき行ってきました。天々宇知栗さんは丹波の山を詳細に歩かれ、城だけでなく史跡、神社、仏閣等を紹介されています。以前にも丹波市柏原町の譲葉城の情報を直接いただき確認する事が出来ました。また青垣町東芦田の穴裏峠の城、氷上町石生の向山等を案内していただきました。今回の井中城は麓に円通寺がある標高302mの山頂にありました。三角点ある山頂部は自然地形で郭と思える削平地はありません、しかしながら山頂から約15m下がった北西の尾根と東の尾根の間の北斜面には、幅約5mの削平地あるいは横堀かと思えるものがありその縁に9本の竪堀列(畝堀)が見られます。東の尾根の根元南側にも竪堀がありこれを越えて南に向かって切岸があり、この切岸に向かって三角点の横から竪堀の様なものが降りていました虎口かも。北の尾根には堀切があり竪堀とつながっています。以上が確認できる遺構すべてです、南の尾根、東の尾根、北の尾根も歩きましたが城郭遺構と思われるものは有りませんでした。なお円通寺の西、南東方向降る尾根の先端比高約30mピークの上には北側を2重に掘り切った削平地2段の円通寺城があります。城名については天々宇知栗にしたがいます。あるべきはずの郭が無く竪堀列のみのまったく不思議な城です。

 

削平地東部写真

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削平地西部写真

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畝堀東部写真

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畝堀西部写真

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遠望写真

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円通寺城写真
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  • 参考文献

     ありません

 

馬之城更新

馬之城縄張り図(国土地理院の電子地形図25000)

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高梁川の東、標高500m前後の高原の人家が散在するものの耕作地があまり見られ無い様な所に馬之城はあります。馬之城の丘の南に広域農道が通っているので訪れるのには苦労しません。馬之城は南北に長い丘の南半分に東、北、西にかけて幅、深さとも最大4mの空堀を掘っています。短郭の城館のように見えまが空堀内部の郭には北側に掘り残した土塁が有るのみで、しかも上面の高さは背後の丘陵より低く防御的には意味がありません。南には住宅(地主さんです)があり改変が見られ旧態がよく分かりません。郭の南にも低土塁が見られます現在郭に入るのに、この土塁の西側を切り込んで入っていますが東側の端が約7m南にのびて虎口の様に見えます。

 

北西部空堀北向き写真

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北東部空堀南向き写真

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北東部空堀北向き写真

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南東部空堀写真

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郭内北側土塁写真

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遠望写真

 

  • 参考文献

    高梁市史(増補版)編纂委員会

        増補版高梁市史 上巻

 

長井坂城

長井坂城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)f:id:temeraire1839:20190519143900p:plain 

 沼田を経て関東平野に流れ出る利根川は、赤城山の西麓を深い渓谷を穿ち流れています。この渓谷の左岸(東)の崖の縁を利用して長井坂城は築かれていました。長井坂城の現状は、北、東、南を土塁で囲まれた主郭は整備されて見やすくなっています。主郭の西側は崖になっているので土塁は見られません。北と南は空堀があり東側の二の丸との間に沼田街道が通っており、本丸の堀の様になっています。本丸の南東角が虎口とされていますが直接沼田街道に開いてしまっているのであり得ないように私は思い、おそらく城が機能している時点では、東の三の丸の外に迂回させていたのではないかと思います。主郭の北の空堀を隔てて馬出郭と表示ある郭がありますが、後世の改変もあるかと思いますが、現状からは私は馬出郭の機能は無いと思います。本丸の南には堀を隔てて、幅約15m郭とその南に土塁があります、この土塁の南に空堀が書かれた縄張図がありますが、現状は後世の改変によるものか私は見る事が出来ませんでした。この郭の東の沼田街道を隔ててある郭は、西側に高い土塁、南側には土塁というより小山の様な高まりがあり櫓台の機能を果たすように思います。この郭の南は約30mの空堀で城域の南を遮断していました。二の丸、三の丸は現在耕作地となっており当日作業を行っておられたので、中に入る事が出来ず外側から見るしかできませんでしたが二の丸の東側の張出部分などは確認することが出来ました。なお関越自動車道は、城の手前で地面にもぐり(長井坂トンネル)本丸直下を通って崖の面へ出て永井川橋を渡っています。この様なルートは長井坂城を保存するためとのことの様です、地元自治体、道路公団いずれの決定かしれませんが工費、工期など考えるとあまりあり得ないことと思います、英断と私は思いました。

本丸南側堀写真

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本丸北側堀写真

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本丸南側土塁写真

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本丸北側土塁写真

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本丸虎口写真

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南東の郭写真

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南の郭土塁写真

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  • 参考文献

   webのサイト

    埋もれた古城 さん

    土の城への衝動 さん

    余湖くんのお城のページ さん

         参考にさ て頂きました。

 

京川城再訪

 京川城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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岩本神社北尾根ピークの遺構(国土地理院の電子地形図25000)

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 2015年3月22日のブログ、但東町の京川城へ友人を案内して再度行ってきました。最近のネットで京川城を紹介されているサイトを見ると整備が行われたことが見られます。今回訪れると新しく登山道等が作られ登りやすくなっていました。京川城は小谷集落の背後(西)の尾根の標高約210m(比高約100m)ピークにあります。東西、南北ともに約50mの規模で全周に0.5~1mの土塁が見られます。南に虎口?と思われる土塁の切れている所がありますが、土塁を平行にずらした形であまり見ない形です、関係はないと思いますが広島県三次市の尼子氏の陣城で良く見られる形です。岩本神社背後のピークに土塁、切岸、竪堀の様なものが見られます、これはブログ山城賛歌氏が紹介されたものですが、今回改めてみて城郭遺構と思いました。

 

虎口?写真

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北東部土塁写真

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北西部土塁写真 

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北西部切岸写真 

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西側土塁写真

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北西角土塁写真

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岩本神社上削平地写真

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 岩本神社上土塁地写真

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  • -参考文献

   豊岡市教育委員会
    豊岡の城郭集成2

   ブログ闘城賛歌(山城賛歌)さんを参考にさせていただきました。